幅広い役柄で映画、ドラマ、舞台と多くの作品に出演する一方、 自身が主催する「TPS(シアター・プロジェクト・さっぽろ)」にて主宰・演出・監修をつとめる斎藤歩。 演出作品は多くの受賞歴を持ち、出演作では脇役ながらも絶大な存在感を放つ――。 斎藤歩の生い立ちを追いながら、役者としてのスタイルをお伺いします。
・前編 (2010/09/28更新)
・後編 (2010/10/28更新)
ピックアップ魂 vol.2
斎藤歩篇 前編
気付くと、いつも周囲に祭り上げられている
― 斎藤さんの幼少期について教えてください。
生まれたのは、ちょうど高度成長期。父親は転勤族だったので、引っ越しばかりしていました。 釧路で産まれて、1歳から札幌、3歳から大阪、10歳から千葉県で小学校を3校転校。友達も3年おきくらいに入れ替わりましたね。仲良くもなるし、その土地の良さを発見して愛着を持つんだけど、どこかで「3年後には別れるんだな」って思いながら付き合っていました。
―転校生ならではの悩みはありました?
転校生って、なぜだか異様に期待されるんです。勉強できるんじゃないかとか。僕の場合はスポーツで、「前の学校で野球をやっていた」と言うだけで「野球得意なんだね」って実力以上に見られちゃって。得意でもないし、好きでも何でもないんですよ。それなのに偶然リトルリーグに入れさせられたり。そこで硬球を使って練習して、エリート用の教育を受けるから、また次の学校に行くと「あいつすげえ上手いぜ!」って…。 中学では水泳部をやったんだけど、高校に行ったら「お前水泳部だったんだって?今年から立ち上げるから、キャプテンやれ。指導もしろ」とか。やれやれですよ。上を目指してやっているわけでもないのに、なんかそんな羽目に合っちゃう。
―環境が人を育てていくという感じだったんでしょうね。みんなの期待に応えなきゃという男義みたいなものもあって
うーん。人から言われたら「まあできなくはないけど……」って感じで言っているだけなのに、気づいたらそうなっている。いつもレベルがひとつ上みたいなところでやらされていた感じがありましたね。
― 本当に興味があったこと、やりたかったものはありましたか?
山や自然は好きでした。父親が登山をする人だったので、その影響を受けていたのかもしれません。読む本も、登山家の植村直己さん、海洋冒険家の堀江謙一さんなどが多く、将来もスーツにネクタイで出勤するとかじゃなく、山で暮らせたりできたらなあなんて考えていました。
演劇をはじめた、本当の理由
―じゃあ大学もその延長線上で?
そう。北海道大学で研究所に入って勉強したり、登山をしたいと思ったんです。ひとり暮らしは金がかかるから、家賃を浮かせるためにクラスの男2人と家を借りて3人一緒に住みました。その中の1人が演劇研究会に入っていて、どんなもんだろうと見に行ったんです。それが最初に演劇に触れた瞬間。でも、人前で大声出したり、泣いたり笑ったりとかするのを見て「全然違う世界だ、絶対できない」と思った。
― 実際に始めることになったきっかけは何だったんですか?
説明すると複雑なんだけどね……。関東・関西の大学の学生運動は60年・70年代に起こっていますが、北大ってちょっと遅れて大学再編で、規制が強まったんです。それに加え、当時北大のキャンパス内にあった学生寮が取り壊されるっていうんで、反対運動がおこったりもしていた。そのときも小・中・高のように周囲に祭り上げられて、なぜか僕が自治会の議長にされてしまったんです。実際、事務当局と闘ったのですが、あっという間に数人逮捕され、いわば敗北。脆弱な組織でした。それでも「学生の自治は守ろう!」と言って、そこで演劇部に関わったんです。北大の演劇研究会ってアングラなテント公演なんてしていて、それを事務当局がつぶしに来るわけですよ。どうにかテントを守ったりという活動を通して、流れで演劇の道に進むことになった。だから演劇そのものより、再編に対する反発心やアナーキーな精神があってのことなんです。
― すごいきっかけですね!
そう。だから、僕は演じたいという欲求からではなく、別の力が働いて演劇を始めたという、僕の世代では珍しい人間なんです。
― 実際、演じることはいかがでした?
最初は演出家が言っていることもわからないし、つまんないからすぐにやめたんだけど、先輩が「お前を主役にした台本を書いたから」って持ってきたんです。悪い気はしないじゃないですか。もうやめようって思ったのにまたやっちゃって。3年生 になったら周りの雰囲気が「斎藤が脚本書いて演出しろ」ってなって、また仕方なく言う通りにして。
― やっぱり(笑)。
そう言われても、脚本の書き方なんて知らなかったからね。そんなにやりたいことではなかったなあ。 ただ、大学を出た後に「自分はまだ北海道でやるべきことがあるだろうし、このメンバーでもう一回だけ公演をしてみたい」って思ったんです。それから古典を読んだりして演劇を真面目に考え始めたんです。世の演劇にどんなものがあるのかって調べたり。それでちょっとずつわかってきて。
―これまで周囲に言われて なんとなくリーダーに祭り上げられてしまっていたのが、
このときはじめてご自身でリーダーという道を選択された。
そういうことですよね。一回だけのはずだったのだけど、客も入って評判もよくて、「自分もやりたい」という役者が出てきて。もう一回だけ、もう一回だけってやっているうちに規模が大きくなったんですよ。責任も生まれてきたから、 劇団員に住むところやアルバイト先を世話したり、スケジュールを出さなきゃいけなくて事務所を構えたり、倉庫借りて自分たちの表現したいように改造したり。28歳ころまでそんなことをしていました。
― いわばプロデューサーですね。
そうなっちゃうんですよね。そもそも役者がやりたかったんだけど、立場上なのか、演出家・作家にさせられている。若い人間を育てるために配役をしていたら、いつの間にか僕自身が出ない芝居も生まれはじめていた。さすがに、「おいおい、俺は何をやっているんだ?」と。主宰としてはやりたいことをやりつくした感じと、バブルが終わった時期で経済的な理由なども重なって、劇団を手放すことを決意しました。
― そこで東京?
劇団を人に譲ったあとは、演劇ユニットなどを経て、北海道演劇財団設立の立ち上げに関わり、チーフディレクターに“させられて”いました(笑)。で、たまたま東京で仕事をする機会があって、映像にも関わるようになって。札幌では演出、東京では役者と両方できるから、自分の中で折り合いがついて今はその2足のわらじのような形態になっています。
- vol.1 [後編] 10月中旬公開予定
ピックアップ魂 vol.2
斎藤歩篇 後編
演出・脚本家であり、役者であるという2面性。求められてその役を演じることと、 人に求めるという2つの立ち位置があることは、互いにどんな影響を与えあっているのか。斎藤歩さんの作品への取り組みにスポットを当てます。
そこでセリフを言う。ただ、それだけ
― 役者も演出もされることによって、ご自身の中で苦労されている点などはありますか?
スケジュールの面だけですね。札幌の劇団に入り浸りになると役者の仕事ができないスケジュールになってしまうので、リミットを付けてやっています。それくらいかなあ。
― 役作りのスイッチ、演出のスイッチというのは意識していますか?
役作りについてときどき聞かれるのですが、僕は役作りっていうことをしないタイプの役者なんじゃないかなって思うことがあります。こんなことを言うと誤解されるかもしれないんですが、決して準備をしないということではなく。もち ろん本も読むし、やることはやっていきます。ただ、僕の演技のスタイルって、何かになるっていうことじゃないんです、きっと。僕は、人間というのは魔法使いじゃないし、何かになったり、変身したりってできないって思っているんですよ。 演出のとき、ときどき役者に話すんです。「演じているかいないかはお客さんが考えることで、僕たちは、そこでセリフを言うだけなんじゃないか。ただ、それだけなんじゃないか」って。まあ、究極なのかもしれませんが。
― 演技やお話の中で感じているのは、斎藤さんは“グラついていない”んです。悩んで葛藤して入れ込んでいくタイプの役者さんもいらっしゃいますが、そのスタイルではないですね。
ああ、冷静だとか言われますね。この取材のあと、時代劇をやって、そのあとは人殺しの役で現場に入るんですけど、例えば朝から「よし、俺は今から○○役だ」とか意気込んでいるわけじゃないし、「今日は人を殺すぞ!」と思っているわけじゃない。行って、かつらをかぶる。行って、撃つ。それだけ。そんな意味では、実は役作りをしたことがないんじゃないかって思ったりもしますよ。
― 弊社と仕事をしていただいた「東京ガス」では、父親役としてナレーションをしていただきましたが、もしかしてそのときも同じような感覚だったり?
そうかもしれない。目の前に可愛い子どもがいて、彼女と「そうだね」って話すことも、例えば金融マフィア役で「そうだな」とか言って相手を威嚇することも、もしかしたらその両者に違いなんてないのかもしれないって思うことがあります。対象を見て、子どもなら頭をなでる。敵ならピストルをつきつける。それは、運動の違い、あとは(心臓を指して)このへんの違いなだけなのではないか、なんてね。それを役作りというのならそうなんだろうと思うんですけど、自分の感覚では作っていないし、演じていない。
― 斎藤さんはアクションに対して自分の幹があるからそれ以上のことはせず、葉の成り方によって「こんな見せ方がある」ということを自覚なさっているからこそ、そのスタンスなんですよね
よく、悪役っぽい顔をしているからこの役だとか、やさしそうな声を出すとかってありますけど、それはたぶん、表面のことだけじゃないですか。僕らはやっぱりもっと違う何かだったり、その人を見ますよね。
演出するときにも「表面の何かを変えるなんてすぐにできるんだけど、仕事すべきところはこのへん(心臓)の何かなんじゃないか」ってことを言います。そうすると、軽はずみに声を変えたりするなんてやらないです。
― 表面をいじるだけではないのですね。うーん、深い。
だから、まずそこにいること。役者としてそこにいること。呼吸をすること。相手役を見ること。ちゃんと本を読んでくること。それしかないんじゃないかな。
自分自身を客観的に見ると、僕はとても不器用で、決して上手い役者じゃない。どこか冷めていて、なんだかなあって思うこともあります。
― 斎藤さんの考える「上手い」ってどういうことなんですか?
柔軟だということかな。僕、身体硬いんですよ。でかいんですけど、硬いってイメージ。もっと柔軟に物事を受け入れられたりできたらなあって 笑。
僕はつい演出とかもやっちゃうので、役者の立場でも場面を引いて見てしまったり。監督に「もっとのめり込んで追い込まれなければいけないのに、広く見ているぞ」っていわれてドキッとしたことがあります。「そうやって考えるのは撮る側に任せろ」って。立ち位置から来る違いってきっとそれなんでしょうね。
代表作は、見る人が決める
― 斎藤さんは多くの作品に出演されていますが、ご自身で何か代表作というのは考えたりしますか?
代表作は自分で決めるものではないというのが僕の考えです。
演出しても、自分で面白いと思ったものが全然受けなかったり、まったくその逆だったりというのがありますから、見た人が決めるものだなって。
―では、敢えて私たちから挙げさせていただくと、尺から言っても存在感から言っても『サマーウォーズ』は代表作になったのではないかと思います。
『サマーウォーズ』はオーディションだったんです。でもマネージャーに『サマーウォーズ』の収録とそのときやっていた地方公演が重なっている時期で、受けられないっていわれて。でもキャスティングの方が僕の声を「どうしても聞かせたい 」って言ってくれた。「声を聞かせても、仕事は受けられないんでしょう?なんだそれ?(笑)」って。でも、とりあえずオーディションに行ったら、監督が「いいですね」っていってくれ、なんとか撮れるスケジュールで合わせてくれたんです。みなさんには無理をしいたスケジュール だったのかもしれないので申し訳なかったなあと思うんですけどね。富司純子さんと共演できるなんて夢みたいで、自分としてもありがたい現場でした。富司純子さんは姿勢を正して和服で待ち時間を過ごされるんです。素晴らしいですよね。その横で感激しながら仕事していました。
― 声優は初めてということでしたが、そこの苦労はありましたか?
自分の間で芝居ができないことです。画が作りだす間を、自分の間にしなければいけないってところが難しかった。画では登場人物が倒れるんだけど、アテレコは自分が倒れられるわけではない。その動きのとき、マイクに「うわっ」とか向かって声を出すことは本当に不思議な感覚でした。映画のアフレコとも、ラジオドラマとも違いますからね。
― 声と身体がともなった動きではないですもんね。
そう。舞台や映画なら動きと連動して声がでて、動きで声も決まってくるじゃないですか。声優だと、「声を作る」作業をしなければいけないのでね。 ただ僕ら、嘘を作っているわけなので、それを楽しめるかどうかなんですよね。自分のリアリティって考えるんじゃなくて、作品のためにこうすれば面白いかとか、って考えて生み出す。それはポジティブな行為だなと感じました。次、声優の仕事に関わるときはそういったことも、より楽しみたいと思っています。
― ありがとうございました。
編集後記
このインタビューを読んだ方の何割かは恐らく「サマーウォーズのあの人か」と感じるのではないだろうか。かく言う私もこの映画で斎藤さんを知った一人。 今回の記事で掲載しなかったエピソードの中にこういうものがある。
『となりのトトロ』でお父さん役をやった糸井重里さん。彼の声はどこかフワフワしており、他のキャラクターの声と聞こえ方、残り方に違いがあり、子供ながらに聞いてとても記憶に残る声だったという話について、斎藤さんが同調したというものだ。
最近アニメ映画の声で声優ではなく役者(多くはタレントだが)の起用が目につく。 それは役者独自の『間』の取り方やアニメに映画の要素を入れたいから様々あると思うが、その人がどういう役者か知らない中で存在感を出すことのできる役者は稀である。
『となりのトトロ』の公開時、お父さんの声が糸井重里さんのものだとあらかじめ知って見た人は多くないはず。斎藤さんの『サマーウォーズ』もまた然り。ただしそこにはやはり人の記憶に残るだけの何かがあるということだろう。
(役者魂 担当)
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- 生年月日1964-12-20
- 出身地北海道
- 特技
ピアノ、水泳、乗馬
斎藤 歩
さいとう あゆむ
所属事務所:ノックアウト
- 【略歴】
北海道大学演劇研究会を経て、「札幌ロマンチカシアターほーぼー舎」、「A.S.G(アーティスツ・ギルド・オブ・サッポロ)」など数々の劇団に携り、様々な舞台で、演出家、脚本家、俳優として北海道を中心に活動。2000年より、東京と北海道に拠点を構え精力的に活動中。
1996年には札幌市文化奨励賞を受賞。同年、北海道演劇財団設立に伴い、TPS(シアター・プロジェクト・さっぽろ)契約アーティストに就任。
2000年、『逃げてゆくもの』で文化庁芸術祭演劇部門優秀賞を受賞。
2002年、『冬のバイエル』にて東京新聞の現代劇ベスト5に選ばれた。
■映画 『孤高のメス』成島出監督(2010) 『ロストクライム?閃光?』伊藤俊夫監督(2010) 『サマーウォーズ』(声) 細田守監督(2009) 『ハサミ男』池田敏春監督(2005) 『ねじりん棒』(主演) 富岡忠文監督(2004) 『刑務所の中』崔洋一監督(2002) 『コンセント』中原俊監督(2002) ■CM 東京ガス ニベア花王(ナレーション) 他 |
■ドラマ CX『ジョーカー?許されざる捜査官?』(2010) NHK『外事警察』(2009) ytv『猿ロック』(2009) CX『BOSS』(2009) TBS『ブラッディ・マンデイ』(2008) TX『刺客請負人2』(2008) TX『刺客請負人』(2007) Tx『週刊赤川次郎?美しい闇?』(2007) 他 ■舞台 『冬のバイエル』(作・演出:斎藤歩) 『亀もしくは・・・』(演出:斎藤歩) 2006年 演劇企画集団THE・ガジラ『わが闘争』(作・演出:鐘下辰男) 2007年 『えっと、おいらは誰だっけ?』(演出:綾田俊樹) 『審判』『失踪者』(演出:松本修) 2008年 『瀕死の王』(演出:佐藤信) 2009年 演劇企画集団THE・ガジラ『PW』(作・演出:鐘下辰男) 演劇集団キャラメルボックス『容疑者Xの献身』(演出:成井豊) 他 |